岩井俊二監督『リップヴァンウィンクルの花嫁』について

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岩井俊二と僕

 大学時代、サブカルの煮凝りみたいな軽音サークルに顔を出してた時期がありまして。そこにいた女の先輩に「あなた、岩井俊二好きそうな顔してるよね」って村上春樹の登場人物みたいな台詞を言われた事があります。そうなんです。岩井俊二、好きなんです。このブログでも良く話題に出しますが、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 』は夏になる度に見返す岩井作品ですし『LoveLetter』も『四月物語』も大好き。
 『リップヴァンウィンクルの花嫁』は岩井俊二がオーディションで出会った黒木華をイメージして脚本を出筆した作品。 3時間の長編という事で見る機会を逃していたんだけど再映するとのことで下高井戸シネマへ。
 見ました。結論から言いましょう。大名作。大傑作。ありがとう岩井俊二!!!今までの人生で見た邦画の全ての中でもトップ1、2を争うレベルの作品かもしれない。

 岩井俊二は例えば『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)で当時ブームだったインターネットの掲示板を活用した表現方法や、当時問題視されていたいじめ問題など時代を反映した作品を生み出していました。
 その15年後。今作、『リップヴァンウィンクルの花嫁』では出会い系サイトでの結婚、SNSの垢バレ、浮気調査、結婚式の代理出席サービス、派遣社員問題…など現代世相をガンガン反映させておきながらもそれは描写の一部にすぎず、テーマはもっと深い人間の根本性を表現をしようと試行しています。
 さてさて、できるだけ物語の本幹には触れないようにしますが、物語構造について考察致します。ネタバレが少しでも気になる方は回れ右でお願いしますねー。
 

花嫁とアリス

 本作は「現実から異郷(虚構の世界)、そして現実へ」という構造。そして同じ物語類型である「不思議の国のアリス」を模しています。この物語類型を文学的な専門用語で「異郷訪問譚」と言います。物語構造としては例えば『千と千尋の神隠し』とかも同じ構成。簡単に言えば「行って」そして「帰ってくる」物語です。 

 興味深いのは「インターネット」が現実と虚構が重なる和集合のような存在として描かれていており、結婚式などのイニシエーションが現実と虚構を区切る境界となっている所です。
 出会い系サイトで出会った結婚が現実から虚構へ入り込んでいく入口の機能を果たし、SNSで出会った安室(綾野剛)が七海(黒木華)を虚構の世界に連れて行く道案内人としての役割を果たしています。名前が「安室行桝(あむろゆきます)」とふざけているのも現実と虚構世界の間の住人の象徴。安室は「ヒト」としての登場人物ではなく、「不思議の国のアリスの白うさぎ」的な存在なのです。白うさぎも安室も七海(黒木華)=アリスをむりやり連れ出すという事はほとんどしません。あくまできっかけを与え続けているだけ。安室の「この距離、あなたが詰めたんですよ。気を付けて下さい。」という台詞も「選択するのはあなたです。私は何もしていません。」という意思表現として非常に象徴的。何に急いでいるかは明かされませんが、「大変だ、遅刻する」といつも忙しそうにするアリス白うさぎと、何の仕事をしているかはほとんど明かされませんがいくつも仕事を掛け持ちして忙しそうにしている安室にも非常に近い物を感じます。

 虚構の世界の住人である真白(Cocco)はお城のような家で猫の真似をしたり(チシャ猫?)、ワインを飲んだり(ティーパーティ?)をしたりします。部屋を片付けるシーンでトランプも出てきましたよね。水槽の前で涙を流すシーンはアリスの「涙の池」ですかね。
 その後、最後の式(イニシエーション)を終えた七海は現実の世界に戻りますが、この現実の世界に戻る手引きをしたのもやはり白ウサギの安室なのです。…と、このように『不思議の国のアリス』のモチーフ・構造がそこらかしこにちりばめられています。

リップヴァンウィンクルの花嫁』と『銀河鉄道の夜

 さて「異郷訪問譚」としての論を強めるために映画内に出てくる登場人物のSNSでの名前についても触れておきましょう。
 七海(黒木華)のSNSでのアカウントネームは元々「クラムボン」。これはあのバンド名ではなく、宮沢賢治の童話『やまなし』からの引用です。国語の教科書にも載っているので読んだことがある人もいるはず。所論ありますが、クラムボン食物連鎖の最下層プランクトンを表している説が有り、派遣社員・アルバイトとして働く自身の社会的地位の低さ・実力のなさを表しているのではないかと思います。
 結婚のイニシエーションを終えた後、アカウントを取得しなおし「カムパネルラ」という名前になります。宮沢賢治銀河鉄道の夜』の登場人物です。『銀河鉄道の夜』も「行って帰って」くる物語。当然「異郷訪問譚」ですよね。
 真白のSNSの名前であり、映画のタイトルにもなっている「リップヴァンウィンクル」はアメリカ版『浦島太郎』と言われ、浦島太郎とほぼ同じストーリーの童話です。言わずもがなこちらも行って帰ってくる「異郷訪問譚」。
 作中で安室は「名前なんてただの飾りです。名前さえ変えれば誰にでもなれる。」と言いましたが、リップヴァンウィンクルとカムパネルラ。この異郷を訪問した二人の名前をSNSで冠することが、異郷へと誘われる要素の一つとなっているのです。

この映画、グッドエンドと見るか?バッドエンドと見るか?

 物語類型としての異郷訪問譚はグッドエンドとバッドエンドのどちらのパターンも存在します。『浦島太郎』のようなバッドエンドの場合、それは時の流れであったり、異郷から帰って来た後にどうしようもない事実が眼前に待っているというパターンのものです。  先程例に挙げた『千と千尋の神隠し』。こちらはグッドエンドと言って差し支えないと思います。千尋は異界に行って帰って来て元の世界での生活に戻りますが、この異界での生活を通して間違いなく千尋は「成長」しています。  『リップヴァンウィンクルの花嫁』はグッドエンドか?バッドエンドか?という問題については、真白をどのように扱うかによって変わってくるかと思いますが、この物語を「七海の物語」として見るならば、間違いなくグッドエンドでしょう。この経験を通して確実に成長し、人並みな人生から脱出した七海は「本当の幸せ」を見つけていくのでしょう。

銀河鉄道の夜』の中にこのような一節があります。

「けれども本当の幸いは一体何だらう。」
        ― 宮沢賢治『銀河鉄度の夜』

その問いに対して七海、そして岩井俊二はこのように回答するのではないでしょうか。

「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」
        ― 小説『リップヴァンウィンクルの花嫁』帯文より

おわりに

 自分はひねくれた褒め方しかできないので、どれだけこの映画が良かったか伝わっているかわからないけど、「今年で一番良かったなぁ」とかそういうレベルじゃなく、ストーリー・設定・映像の美しさ含めて、控えめに行っても岩井俊二の最高傑作だと思うので是非見て頂きたい。

 DVDも発売されていますし、2016年10月中旬から早稲田松竹で本作品が上映されるそうです。リリィシュシュ・スワロウテイルと週替わりの二本立て!
http://www.wasedashochiku.co.jp/lineup/2016/ripvanwhinkle.html